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ヴネザープヌイ (駆逐艦・初代) : ミニ英和和英辞書
ヴネザープヌイ (駆逐艦・初代)[よ, しろ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
駆逐 : [くちく]
  1. (n,vs) extermination 2. expulsion 3. destruction 
駆逐艦 : [くちくかん]
 【名詞】 1. destroyer 
: [かん]
  1. (n,n-suf) warship 
: [はつ]
  1. (n,adj-no,n-suf) first 2. new 
初代 : [しょだい]
 【名詞】 1. first generation 2. founder 
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

ヴネザープヌイ (駆逐艦・初代) ( リダイレクト:春月 (駆逐艦) ) : ウィキペディア日本語版
春月 (駆逐艦)[はるつき]

春月(はるつき)は、日本海軍駆逐艦で、秋月型駆逐艦の9番艦。
秋月型の第2グループとして冬月型に分類する分類法もある。
艦名は片桐大二の研究によれば「」の意味〔片桐, 355ページ〕。
== 艦歴 ==

=== 日本時代 ===
1941年(昭和16年)度計画(マル急計画)による乙型一等駆逐艦の第362号艦として佐世保海軍工廠1943年(昭和18年)12月23日に起工され、1944年(昭和19年)8月3日に進水。同年12月28日に竣工した。当初は三菱長崎造船所で建造される予定であったが、線表改訂により佐世保海軍工廠での建造に変更された〔遠藤, 216ページ〕。
就役後、訓練部隊の第十一水雷戦隊(高間完少将海軍兵学校41期)に編入されるも、乗員の練習度不足により、訓練のため1ヵ月間の猶予を申し出た〔『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127800, pp.39〕。また、戦隊旗艦および司令駆逐艦として使用するために艦橋後部の拡張工事が行われ〔、拡張部を含めた艦橋は、他の秋月型駆逐艦諸艦のそれより大きく取られた。艦橋重量が増したため、他の冬月型が備えた艦橋左右への機銃台設置は春月では行われなかった。1月20日に佐世保を出港して瀬戸内海に回航された〔『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127800, pp.42,43〕。この頃、新しい対潜掃討部隊として第一〇三戦隊(久宗米次郎少将・海兵41期)〔木俣, 191ページ〕が編成され、海上護衛艦隊岸福治中将・海兵40期)の指揮下に入った〔『第百三戦隊戦時日誌』C08030075600, pp.5〕。佐世保出港日の1月20日付で第一〇三戦隊に編入され〔『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127800, pp.44〕、1月23日に久宗少将以下司令部が乗艦して将旗を翻した〔『第百三戦隊戦時日誌』C08030075600, pp.11〕。ただし、戦隊旗艦になったとはいえ前述どおり乗員の練習度が浅かった事から、半月ほどは引き続き第十一水雷戦隊の指揮下で訓練を続行し、残る半月は佐伯湾に回航して対潜訓練に宛てられる事となった〔『第百三戦隊戦時日誌』C08030075600, pp.6,21,22〕。
訓練終了後、3月6日にを出撃〔『第百三戦隊戦時日誌』C08030075800, pp.1〕。同日付で第一〇三戦隊は鎮海警備府護衛部隊に編入された〔。3月8日に鎮海に到着し〔『第百三戦隊戦時日誌』C08030075800, pp.3〕、合流してきた海防艦隠岐第19号駆潜艇を率いて3月15日に荷衣島に進出〔『第百三戦隊戦時日誌』C08030075800, pp.16〕。対潜作戦と海上交通保護作戦の指揮を執った〔『第百三戦隊戦時日誌』C08030075800, pp.19〕。7月1日に佐世保に帰投し〔『日本の軍艦11』173ページ〕、8月15日の終戦をで迎えた〔遠藤, 217ページ〕。
10月5日除籍。その後は復員輸送艦となる。横須賀で特別保管艦として係留の後〔、1947年(昭和22年)8月25日に佐世保を出港してナホトカに向かい、8月28日に到着後、ソ連に賠償艦として引き渡された。ソ連では「ポスペシュニー」と命名され1960年代前半に廃艦となったという情報もあるが〔『日本の軍艦11』166ページ〕〔 でも「'」としている。〕、ロシア側の情報では以下のようになっている〔春月がソ連に引き渡された当時、ソ連海軍には「ポスペシュニー」という艦艇は在籍しなかった。1936年に起工し1941年に太平洋艦隊に配備された7号計画型のポスペーシュヌイ()という駆逐艦があり、この艦は1955年まで太平洋艦隊に在籍していたが、竣工前の1940年レシーテリヌイ()と改称されていた。同じ艦隊所属の先代艦の名称が春月に受け継がれた可能性は否定できないが、日本から引き渡された駆逐艦はいずれも「V」で始まる名称を与えられており、春月に限って「R」で始まる名称を与えられたとは考えにくい。大戦中や冷戦期の情報は錯綜していたため、西側ではレシーテリヌイの旧称と春月の改称後の名称を混同した可能性もある〕。」としている。〕、ロシア側の情報では以下のようになっている〔春月がソ連に引き渡された当時、ソ連海軍には「ポスペシュニー」という艦艇は在籍しなかった。1936年に起工し1941年に太平洋艦隊に配備された7号計画型のポスペーシュヌイ()という駆逐艦があり、この艦は1955年まで太平洋艦隊に在籍していたが、竣工前の1940年レシーテリヌイ()と改称されていた。同じ艦隊所属の先代艦の名称が春月に受け継がれた可能性は否定できないが、日本から引き渡された駆逐艦はいずれも「V」で始まる名称を与えられており、春月に限って「R」で始まる名称を与えられたとは考えにくい。大戦中や冷戦期の情報は錯綜していたため、西側ではレシーテリヌイの旧称と春月の改称後の名称を混同した可能性もある〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「春月 (駆逐艦)」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Japanese destroyer Harutsuki 」があります。




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